ヒトが取り柄を求めるワケ

こんにちは、rinkoです。

「ヒトには取り柄が必ずある」

この言葉は、学校でも、社会でも、オンラインでもオフラインでも言われ続けていることです。とても素晴らしい概念だと、私も思っています。

ただね。

「資格なんて関係ない」

「頭の良さとか関係ない良さが、絶対ある」

そう言われてしまうと

“頭が良い”側の人間は、なぜ自分の特長を否定されなけらばならないのか分からなくて、困惑するわけです。

学力というのも、人によって使っている能力に少しずつ違いがあります。

大雑把に挙げてみても

「ゴールに対する熱意がある」

「物事に取り組みだすと集中する」

「記憶力が良い」

この3点は全く違う能力です。

ただ、その使い方を、たまたま「学力を上げるために使えた」のです。

それをかみくだいていった先にある特徴が、おそらくは本当の「取り柄」なのですよね。

 

そして戸惑いながらも、負けず嫌いだった私は、

勿論「頭が良いだけの面白みのない人間」にもなりたくなんて、なくって。

 

結果私は、「学力と関係ないスキルも上げる」ことを目指していました。

そして、結婚する頃まではそれは

「演奏者であること」という揺るぎないものでした。←トロンボーンを吹いてました。

ですが、私は楽器を吹くには致命的に「唇が弱かった」のです。

大学卒業の折には既にあった兆候でしたが、自主練で特訓をすれば体調を崩し、そうでなくても風邪気味になれば必ずと言っていいほど口角や唇に痛みを伴うヘルペスが出来てしまって。

演奏会の本番終了後はマウスピースが血染めになっていたこともあります。

それでも就職から結婚まで5年、中学で吹奏楽部に入部した頃から数えれば16年。結構な年数を楽器とともに歩み続け、ずっとダマシダマシ演奏していくのかな、と思っていたのですが。

妊娠中に突発性難聴を患ったことで、更に演奏することに対してナーバスになりました。(現在は日常生活に支障ない状態です)楽器との生活を手放そうと思ったのは、この頃です。

 

歴史等を鑑みれば、ベートーヴェンやつんく氏など、障害を抱えても音楽活動を続ける人というのは存在しますし、私の体質であっても楽器を続けるための情報はあったんだと思います。

けれど、それをしなかったのは、「自分の望むレベルに到達する練習量に、自分の唇が“今”耐えられない」という現実から目を背けるためだったのかな、とも思います。

当時は、「所属する楽団が引越で遠くなったから」とか「世帯のランニングコストを減らしたいから」とか色々言っていましたが、

正直、悔しくてたまらなくなる日もあります。

演奏者であった過去を捨てられず、演奏者に戻ることも出来ない。そんな自分が。

意外に思われるかもしれませんが、私はテレビで放送される音楽番組は殆ど見ません。

特に学生ブラスバンドの特集なんて、ちらっと眼に入るだけで頭が熱くなります。

 

学力に関わる能力が取り柄なだけでも怖くて、音楽でひとかどの人物になりたかったけどそれも出来なくて、他の自分の性格や能力なんて、ありふれたものでしかないとしか思えなくて。

誰かが、どこかの自分の特徴を「いいね」と褒めてくれたとしても、満足いかない心がどこかにあり続けていました。

 

つまりね。

自分が、自分に認められたかったんですよね。

ハードルを上げていたのは、自分自身。

セルフハードモードってやつです。

 

取り柄を求め続けることの裏には、自分が自分を認められていないという事実が隠れています。

まあ、それはそれで向上心になるからいいんでしょうけどw

それで生きるのが苦しいのなら、「別に、このままイージーモードで生きても大丈夫かもしれない」と開き直ってみるのもいいのかもしれません。

 

さて、自分の取り柄を求め続けますか?

一旦、「今のままでもいいかもしれない」と、振り返ってみますか?

 

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